北海道サッカー情報紙 北のサッカーアンビシャス 道内ローソン、セイコーマート、一部書店で絶賛発売中

トップページ
本紙の役割と紹介
コンサの王道と遍歴
スタッフの部屋
過去のコラムと記事
広告・販促について
年間購読お申し込み

本紙の役割と紹介

 

本紙の役割と創刊の動機

代表  柴田  勗
プロフィール
・北海道サッカー協会顧問
・日本サッカー協会名誉1級審判員
・札幌大学名誉教授・元札幌大学サッカー部総監督
・日伯ジュニアスポーツ交流協会理事長
・SSTC日本本部代表
・特定非営利活動法人SSSスポーツクラブ代表理事
・サンパウロ名誉市民章 受章

創刊の動機

 本紙は2001年1月、サッカー愛好者の長年の要望にこたえ、(財)北海道サッカー協会および14地区サッカー協会のご協力を得て、北海道独自の月刊紙「北のサッカーアンビシャス」として創刊するに至りました。
  創刊にあたっては、翌年に控えていた2002年のワールドカップ札幌開催という、かけがえのない文化資産を語り継ぐ必要性に迫られたことも大きな動機となりました。
 また、北海道初のプロチームとなったコンサドーレの応援紙として機能させたいこと、日本初のサッカーくじ「toto」のはじまりに対して、「toto」の楽しみ方とそれに役立つデーターの掲載が必要なこと、そしてサッカー愛好者へ情報提供しコミュニケーションツールとして役立つものが必要であるとの思いから、北海道発のサッカー情報紙が誕生致しました。

創刊のねらい

 北海道の広域性に対処して各地に設置された、(財)北海道サッカー協会翼下の14地区サッカー協会が現在実働しています。
 その重要な使命の1つとして、協会登録選手や愛好者から求められる、一元化された情報の提供への取り組みが上げられます。特に、毎月ごとの「行事予定」と「試合結果」の各地と全道の資料整理と発信については、組織機関側として欠かせないサービス業務であり、インターネット以外の情報提供の必要性も重要と捉えています。創刊から、現在まで、北海道におけるサッカー情報面の側面的支援を目下継続中であり、今後も力の限り続けて行きたいと思っております。
 最後になりましたが、各地区情報を毎月送ってくださっている各地区協会の役員、ご担当者の方々に、心より感謝申し上げる次第であります。 



編集長紹介

編集長 池田 淳

「土壇場・4文字コラム」

 46年前、北海道に就職が決まった時、送別会で先輩が旅立ちの言葉をくれた。「一つでも多くゴールポストを立てろ」。北海道新聞に入社して、この野望は膨らんだ。記者生活38年、片時としてサッカーを忘れたことはない。特権を利用して普及に役立つ記事も書いた。こんな中で代表の柴田先生に出会った。サッカーを熱く語り、月刊紙で「土壇場の4文字コラム」を連載する。
 プロチームのコンサドーレ札幌の誘致、設立に携わり、本道永住を決意した。ライフワークはサッカー。月刊紙に記事を書くこと、サッカーに関する全てに耳を傾けること、一般紙に載らない1回戦からの記録を出すこと。コンセプトは書き切れないほどある。一つ一つ実行して行きたい。座右の銘は「不言実行」。

 
[プロフィール]
 1983年(昭和13)生まれの埼玉県出身。埼玉大学付属中学でサッカーにはまる。小学生のころ野球とバスケットをやっていたので、サッカーの振り出しはGK。サッカー部のGKがけがをしたので助っ人で入った。後にDF、MFを順次経験、県立浦和高校に入った時はFWになっていた。1954年(昭和29)北海道で国体があった。高校の部の代表になり、1年生で球拾いと靴磨きで北海道を初めて見た。1回戦で刈谷高校(山梨)に敗れた。69連勝で記録が終わった。
 浦和の仲間3人で東京教育大学(現・筑波大)に進んだ。関東大学リーグ1部から国立大を無くすなーの声がかかっていた。2年前に東大は2部に落ちた。当時は早大、慶大、立教大、明大、中大との6大学だった。FWの右ウイングと左インナーをこなした。優勝経験はなかったが、入れ替え戦の窮地もなかった。
 3年で現役プレーヤーを辞退した。学校の仲間99%は教師だが、新聞記者を志した。4年の秋、デットマール・クラマー氏に出会った。東京五輪の日本代表コーチとして来日していた。写真を取ること、文を書くことを勉強中だったので重宝がられてクラマー氏に帯同した。コーチ学を盗んだ。新聞記者になり1972年のミュンヘン五輪を取材、ドイツとの交流は深い。少年団の組織「クルトユルゲンス」を日本に導入する。